■「有害」規制について考える(1)
鳥取県が募集した「県青少年健全育成条例」見直しについてのパブリックコメント(募集期間:2007年9月10日~2007年10月10日)には、次のような意見があったという。
「出版物やその表現内容を包括的に捉え、表現の自由の規制を行えば、政治や行政はもとより一執行官の判断で無制限に規制の範囲が広がる可能性がある。今からでも遅くないので、包括指定を正してから個別に指定すべき。(後略)」(「パブリックコメントでいただいた主なご意見と県の対応方針」より)
この意見の提出者は規制の仕組みを理解しているのだろうか? 「出版物やその表現内容を包括的に捉え」ることができ、「無制限に規制の範囲が広がる可能性」があるのは包括指定ではなく、個別指定である。
そもそも包括指定とは、個別指定の基準を満たす図書類の一部を自動的に「有害図書類」とみなす制度である。ゆえに個別指定の基準を満たさない図書類が包括指定されることは論理的にはありえない。たとえば淺野博宣・神戸大助教授は、個別指定の定義について、「包括指定に比べより概括的」(淺野博宣「パソコンゲームソフトの有害図書類指定」『法学教室』第246号別冊付録、8頁)と指摘しているし、包括指定を導入している県は、「有害」規制監視隊の意見に対し、「包括指定の基準に至らない図書類については、従来どおり「個別指定」により行うこととしております」(秋田県)、「包括指定の基準は、個別指定の基準から、より限定して定められています」(鳥取県)と回答している。
さらに、個別指定は包括指定と異なり、性表現に限らず、様々な表現を規制することができる。2003年7月の神奈川県児童福祉審議会社会環境部会において、青少年課長は「ゲームソフトなどの中に残虐性のあるソフトがございます。これは、図書類ということで規制はできますけれども、包括指定ができません」「個別指定することについて当部会でご審議をしていただくことも考えています」と述べていた。同県は2005年6月、全国で初めて残虐性を理由に家庭用ゲームソフトを個別指定。その後も各地で続いているゲームソフト規制の先駆けとなった。これなどはマスコミ、学者、運動家などが軽視する個別指定により、規制が拡大・強化された典型的な例といえるだろう。
鳥取県は冒頭の意見に対し、
「青少年の健全な成長を阻害するそれがあると認められる有害図書類の指定は、憲法で保障された表現の自由や知る権利と深く関わるため、その指定にあたっては慎重であるべきことは当然です。そのため、個別指定制度によることが理想的ですが、包括指定制度についても、条例及び規則で定める基準に該当するものに限定し、効果的に有害図書類から青少年を保護しようとするものです」(「パブリックコメントでいただいた主なご意見と県の対応方針」より)
と回答している。一見もっともらしいが、個別指定は包括指定よりも規制対象が広いとは説明していない。また、個別指定の審査を担う審議会に課題(委員の人選や透明性など)があることも述べていない。個別指定の方が包括指定よりも「慎重」とする根拠は何なのか? 個別指定の方が包括指定よりも「理想的」とはどういう意味なのか? これらの問題を追及するでもなく、包括指定にばかり反対してきたマスコミ、学者、運動家などは(主観的にはどうあれ客観的には)規制の拡大・強化に“貢献”してきたといって過言ではない。
(2007/11/17 09:00)