■東京都青少年条例騒動の歴史

 

1999年:太田出版の自主規制問題

1.『完全自殺マニュアル』自主規制論争

 警視庁は1999年7月に鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版、1993年)の指定を東京都に要請した。発行元の太田出版は翌月、著者の了解を得ないまま18禁の帯を付け、本全体をビニールパックする自主規制を実施。その理由について「有害・不健全図書に指定されると、実質的には一般の書店に並ばなくなり、18歳以上の人に買ってもらうことも難しくなる」「自主規制することで指定を避け、きちんと流通することを目指している」(『朝日新聞』1999年9月4日付)と説明した。

 

 この措置に著者の鶴見氏は強く反発。また有識者や業界関係者等からは賛否両論があった(下記参照)。これらによれば、太田出版を含む自主規制肯定論の根拠は(1)指定されると書店に並ばない、(2)自主規制で指定を回避できる、ということのようだ。しかし(2)に関しては、自主規制後の1999年10月に神奈川県が指定するなど期待した効果はなかった。ちなみに同県では「県警少年課が県当局に、有害図書への指定を要請していた」(『神奈川新聞』1999年10月19日付)という。(つづく)

<太田出版の自主規制に対する主な反応>

 

鶴見済氏

「今回の出版社の措置はこれまでの姿勢を翻し、全く独自に本が「有害」だと認めている。著者の自分だけでなく、読者や世間までも広く欺いた行為で、許し難い」(『朝日新聞』1999年9月4日付)

 

浜田純一・東京大学社会情報研究所教授

「著者の承諾なしに、販売対象を限るのは問題だ。「いい物だ」と判断して本を世に出したのなら、出版社は信念をもって臨むべきではないか」(『朝日新聞』1999年9月4日付)

 

野崎保志・青弓社営業部長

「私は著者の鶴見氏が言うように、帯をつけることが自ら「有害」と認めたということにはならないと思っている。(中略)店頭からの排除か、「18禁」の帯か、という選択を迫られたとき後者をとるのは現実的で、出版社の使命を考えても正当であったと思う」(『出版ニュース』1999年10月上旬号、38-39頁)

 

西尾肇・鳥取市民図書館

「太田出版が『完全自殺マニュアル』に「18歳未満の方の購入はご遠慮ください」という帯をつけ、シュリンク(ビニールパック)したことは誠に遺憾に思う。(中略)版元自体が青少年への「有害」性を認めたことになり、図書館で自由な閲覧を保障すべき根拠が薄らいでしまう」(『出版ニュース』1999年11月中旬号、26-27頁)

(2011/5/24 05:30)

2.自主規制の本音と建前

 では、(1)の理由はどうだろうか。太田出版の担当者は後に「指定を受けた県の書店からはぱったりと注文が止まってしまっていた」が、新聞報道で本の知名度が上がり「いままで独自の判断で注文を控えていた書店や「有害」指定を受けていた県の書店からも注文が入るようになった」と話している(長岡義幸「『完全自殺マニュアル』悪書キャンペーンの陥穽」『創』1999年11月号)。「指定されると、実質的には一般の書店に並ばなくなり」という説明は建前だったことになる。

 

 そもそも『完全自殺マニュアル』のような「書籍」は、出版倫理協議会の帯紙措置で流通を止められることはない。当然、指定後に返品しなければならない法的義務もない。例えば2007年1月に東京都が指定した『復讐の本』(三才ブックス、2006年)について、『新文化』2007年1月25日付は「発売禁止ではないので返品する必要はなく」と解説している。また以下のFAXを見ても、自主規制の本音は別にあったことがうかがえる。太田出版の説明をそのまま受け入れるのは困難だ。(つづく)

<太田出版の担当者が9月7日に鶴見氏へ送ったFAX(一部)>

「朝日の記事で注文が殺到しています」

「問い合わせもひっきりなしで、そのほとんどが、朝日新聞で初めて『自殺』の本があると知ったおじさんで、どこで買えるか聞いて来ています」

「営業も書店を回るたび、「やったね!」と言われるそうです。そういう意味ではほんとうにいいパブリシティになりました」

(鶴見済「『完全自殺マニュアル』のどこが「有害」なのか」『創』1999年11月号、14-20頁より抜粋)

(2011/5/31 05:00)

3.自由を売った代償

 一部の読者を切り捨てても、それ以上の需要が見込めるなら構わない――。太田出版はそのように判断したのではないか。「店頭からの排除か、「18禁」の帯か、という選択」が架空のものである以上、18歳未満の読者か、自主規制の宣伝効果か、という選択で後者をとったと思わざるをえない。一方、東京都では指定基準に該当しないとして『完全自殺マニュアル』の諮問は見送られた。ところが審議会の会長は「条例の見直しを含む適切な対応」を求める見解を発表した。

<『完全自殺マニュアル』の自主規制をめぐる主な動き>

 

7月18日

 警視庁は『完全自殺マニュアル』を指定するよう東京都に通報(関連報道は「「不健全図書類」の指定増加」参照)。

 

8月19日

 太田出版は東京都を訪問し、『完全自殺マニュアル』に18禁の帯を付け、ビニールパックして出荷すると説明。

 

8月26日

 東京都は第471回東京都青少年健全育成審議会で条例及び認定基準に該当しないため『完全自殺マニュアル』の諮問を見送ったと説明した。この中で女性青少年部長は「かなりマスコミも注目しておりますので、何らかの形で審議会としての意見表明というふうにしていただければ」と提案。「自殺を誘発するような記述・描写をしている図書類は、青少年の健全な成長を阻害するおそれのあるものであり、関係業界はもとより、東京都においても条例の見直しを含む適切な対応をとられるよう要望するものである」という会長見解が発表された。

 

8月28日

 鶴見氏のもとに本が届き、この時初めて自主規制を知ることになる。「帯をつけることは俺が知らない間にとっくに決まっていて、それが書店に並んでいた」(鶴見済「『完全自殺マニュアル』のどこが「有害」なのか」『創』1999年11月号)という。

 

9月3日

 『毎日新聞』に「東京都「有害図書」指定を見送り 「完全自殺マニュアル」」という記事が掲載される。8月26日の審議会の様子などを報じている。

 

9月4日

 『朝日新聞』に「自主規制、自由に勝る? 完全自殺マニュアル 版元が「18禁」の帯」という記事が掲載される。

 

9月11日

 『東京新聞』に「都審議会が条例見直し含む異例の注文 「完全自殺マニュアル」規制に動き」という記事が掲載される。

 

9月21日

 『FOCUS』1999年9月29日号に「「完全自殺マニュアル」著者が版権引上げ宣言!――ベストセラーの有害指定問題」という記事が掲載される。このインタビューで鶴見氏は「自主的に帯なんか付けたら、むしろ自ら有害だと認めたことになるので、文句が言えなくなる」「きれいごとじゃなく、読者を裏切ったらダメです。それは絶対にダメなんです。「この本を心の支えに生きてます」とか「ずっと信じてます」なんて手紙をたくさんもらってるんだから、当たり前です」と話している。

 また警視庁は「今回のマニュアル本のケースでは、帯紙やビニールパックは、逆に興味をそそらせる面があり効果は期待できない。条例改正による有害指定の法的な裏付けが望まれる」(『東京新聞』1999年9月11日付)との認識を示した。自主規制を宣伝に使った代償である。18禁を“売り”にした図書が指定基準に該当しないとすれば、条例見直しが論点になるのは当たり前だ。太田出版の販売戦略は成功したかもしれない。だが、規制強化の流れを招いたのは確かだろう。

(2011/6/6 18:10)


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